ヒエログリフ解読から200年
- nozomukawai
- Sep 26, 2022
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Updated: Sep 26, 2022
△はじめに
200年前の1822年9月27日にフランスの天才言語学者、ジャン=フランソワ・シャンポリオン(図1)はフランス学士院でヒエログリフの表音的性格に関する論文「表音聖刻文字のアルファベットに関するダシエ氏への書簡」を読み上げ、これによってヒエログリフが解読されたと考えられています。シャンポリオン、弱冠32歳の時のことでした。ヒエログリフの解読によってエジプト学が始められたとされているので、今年はエジプト学誕生200周年という記念すべき年です。今回はヒエログリフについて解説します。

図1.ジャン=フランソワ・シャンポリオン肖像画(1831年)
△ヒエログリフとは
ヒエログリフは、ギリシア語で「神聖な刻まれた文字」を意味するヒエログリフィカが、後のヨーロッパの言語に継承された古代エジプトの象形文字の呼称です。日本語ではこの意味を汲んで「聖刻文字」あるいは「神聖文字」と呼ばれる場合もあります。
ヒエログリフは、一般的に石造の神殿や墓の壁面や石碑に主に刻みつけられたために、字体が明瞭であり、日本語で言うところの「楷書」に相当します。一方、古代エジプトの書記がパピルスやオストラコン(石灰岩片や土器片)にインクで書いた文字は、ヒエログリフをくずした文字でヒエラティック(神官文字)と呼ばれ、「草書体」にあたります。時代が下がり、紀元前7世紀頃の末期王朝時代になると、ヒエラティックがさらに簡略化された字体が現れます。これがデモティック(民衆文字)です。民衆文字という名前がついていますが、当時は識字率は極めて低いので一般の民衆はほとんど文字を読むことはできませんでした。
ヒエログリフは、「空」や「人」のように現象を直接示す記号である表意文字、発音の全体あるいは一部を示す表音文字、そして単語全体の意味を「決定」する働きをもち、日本語の部首に相当する「決定詞(限定符)」の3種類の文字から構成されます。例えば、食物や飲み物や食事に関係する単語の場合、末尾には片手を口にもってきて食べるポーズをしている男性をかたどった決定詞(限定符)がついています。また、表音文字には3つの種類がありました。すなわち、26の一子音文字(それぞれが一つの子音を表します)、約100の二子音文字、そして40から50の三子音文字です。
ヒエログリフは主に、神殿や墓を装飾する浮き彫りの説明文に用いられたものです。したがって、エジプトの文字と美術はその外観も機能も、宗教信仰や葬送儀礼と密接に結びついており、古代エジプト人は言葉や図像が実際に物理的な力をもつものであると信じていました。ヒエログリフで書かれた神々、人間、動物の名前は、それ自体が生きた存在として脅威を与える場合があると考えられており、このため死者のための葬祭文書では、それらが死者に対して及ぼすかもしれない危険を避けるために、意図的に省略されたり除去されたりする形で記されたのです。古代エジプト人がヒエログリフをメドゥ・ネチェル「神の言葉」と読んでいたのは、ヒエログリフに神秘的な力があると信じていたからです。
ヒエログリフの文字は全部で6000以上知られています。これらのほとんどは、プトレマイオス王朝時代およびローマ支配時代に導入されたものであり、王朝時代のものは1000以下しか確認されていません。頻繁に使われる文字はありましたが、それ以外の文字は明らかに必要に応じて作られ、導入されたものであり、時にはこのことが物質文化の変化を示すこともあります。文字は連続して書かれ、言葉や文章の始まりと終わりを示す句読点やスペースはありませんでした。文書は通常右から左へ、上から下へ読むようになっていましたが、左右対称の装飾が必要な神殿や墓など碑文の場合によっては向きが左から右になることもありました。
△ヒエログリフのはじまり
これまで世界最古の文字はシュメールの楔形文字と考えられていましたが、1990年代にアビドスで行われたドイツ考古学研究所の調査隊の発掘によって、ヒエログリフは楔形文字と同じように紀元前3300年頃から3200年頃には使用されていたことがわかってきました。紀元前3200年頃に年代づけられるアビドスのU-j墓の発掘調査において、「サソリ王」と呼ばれた支配者の墓から出土した木材や骨を削って作られた多数の小型ラベル(札)に数字、副葬品、地名や王家の所領を示すヒエログリフが刻まれていたのです(図2)。
これらの小型ラベルは、明らかに単なる絵による記号ではなく、発音を示す表音文字を示しています。従来の研究では、文字のこの段階の発展は、少なくとも紀元前3000年頃の第1王朝までは存在しないと考えられていましたが、これらのラベルを調査したドイツのエジプト学者は、そこには後の王朝時代の碑文でよく知られた町の名前が出てくることから、これらが表意文字であると特定することができたのです。
したがって、第1王朝の始まりから少なくとも200年前に、アビドスの支配者に雇われていた官僚達は、表意文字と表音文字を組み合わせた高度の文字を使用していたことになります。また、これらのラベルの文字では、上エジプトのアビドスの王墓に埋葬された副葬品の原産地として、下エジプトの地名がしばしば登場します。これは、当時のエジプト南北ですでに経済的、政治的な結びつきがあったことの証拠であり、文字、官僚制度、記念建造物の建造、交易や経済統制の複雑なシステムなど、いわゆる国家の要素が、先王朝時代の末に存在していたことを示すものと推測されています。
しかし、長い文章が記されるようになったのは、より高度に国家が成熟した紀元前2650年頃の古王国時代第3王朝末以降からです。古王国時代には、自伝碑文や『ピラミッド・テキスト』の長い文章がヒエログリフで記され、古エジプト語という文法体系が使われました。中王国時代になると、動詞の語尾変化を特徴とする総合的言語である中エジプト語が使用され、新王国時代後半になると言語単位を連結させることを特徴とする分析的言語で本来は口語であった新エジプト語(後期エジプト語)にとって代わられました。

図2.最古のヒエログリフが刻されたラベル、アビドス、U-j墓出土(カイロ、エジプト博物館蔵)©︎ Nozomu Kawai
△ヒエログリフの解読
年代がわかる最後のヒエログリフの碑文として知られているものは、アスワンから南に数キロの場所にあるフィラエ島のイシス神殿で紀元後394年8月24日に刻まれたものです。これは現存するヒエログリフが使用された最後の日付です。古代エジプトの宗教が否定され、キリスト教が信仰されるようになると、ヒエログリフは古代エジプト語の最終段階でギリシア文字アルファベットを用いて表されるようになったコプト語にとって代わられました。そして、ヒエログリフは完全に人々の記憶から忘れ去られ、「謎の文字」となってしまったのです。
ルネサンスを経て、ヨーロッパ人が古代エジプトに関心を持つようになった頃には、ヒエログリフの読み方はほとんど理解できていませんでしたが、ナポレオンのエジプト遠征中の1799年8月上旬に「ロゼッタ・ストーン」(図3)が発見されて、その解読の機運が盛り上がりました。ロゼッタ・ストーンは、ヒエログリフ、デモティック、ギリシア語からなる3種類の文字で同一の内容が記された法令で、これを手がかりにすればヒエログリフが解読できるという見通しが生まれたのです。何人もの研究者が解読に挑みましたが、最終的に栄誉を勝ち取ったのはフランスのジャン=フランソワ・シャンポリオン(図1)です。
前述のように彼は解読の成果を1822年9月27日にフランス学士院で発表し、これがヒエログリフ解読の記念すべき時とされています。その後シャンポリオンはヒエログリフの文法の基礎を作成し、自らエジプトに赴き碑文調査を行いました。1930年には40歳の若さでフランス国王からコレージュ・ド・フランスの教授に任じられたが、翌年死の病に冒され、他界しました。
シャンポリオンの始めたヒエログリフ研究は、ドイツのレプシウスによってその正統性が証明され、その成果の一部が訂正されたことによって、さらに前進していきました。そして、今日までの多くの研究者の尽力により、ヒエログリフはほぼ完全に解読できるようになったのです。

図3.ロゼッタ・ストーン、アル=ラシード出土(大英博物館蔵)©︎ Nozomu Kawai
△ヒエログリフとアルファベットの誕生
1993年にアメリカのイェール大学のエジプト学者、ジョン・ダーネル教授がエジプトのルクソール(古代テーベ)とアビュドスを結ぶ交易路ワディ・アル=ホルの岩壁で2行の線文字を発見しました。これはヒエログリフの影響を受けたカナン文字と断定されました。年代は紀元前1900年から1800年代と考えられています。完全な解読には至っていないものの、最古の子音アルファベット文字と考えられています。カナン子音文字はカナン人の根拠地であるパレスティナではなく周縁の上エジプトで始まったことになります。
ダーネル教授によれば、中王国時代に傭兵として雇われていたセム系のカナン人が、ヒエログリフのくずし字であるヒエラティックを簡略化して、半ば筆記体風にかきつけたものであるということです。つまりセム語を話すカナン人の傭兵が、自らの名前を記すのにヒエログリフの一子音文字のみを使用するうちにアルファベットの原型となる子音記号に変容させたのです。解読はできていませんが、幾つかの子音記号は同時に原カナン文字や原シナイ文字と近い関係にあることは確実です。このことから、ダーネル教授は、アルファベット子音文字はエジプトで誕生した可能性があると主張しています。ただし碑文が断片的で未解読なので、今後の研究のさらなる進展が待たれます。

図4.ワディ・アル=ホルの岩壁碑文
主要参考文献:
ジョン・レイ(田口未和訳)『ヒエログリフ解読史』原書房、2008年
ヴィヴィアン・ディヴィス(塚本明廣訳)『エジプト聖刻文字』學藝書林、1996年
ミシェル・ドヴァシュテール(吉村作治監修・遠藤ゆかり訳)『ヒエログリフの謎をとく 天才シャンポリオン、苦闘の生涯』創元社、2001年
ペネロぺ・ウィルソン(森夏樹訳)『聖なる文字ヒエログリフ」青土社、2004年
J.C. Darnell, "Wadi el-Hol," UCLA Encyclopedia of Egyptology, 2013
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