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日本におけるエジプト学の黎明

 私もNHKの大河ドラマが好きで、日曜日の夜8時は「青天を衝け」を視聴しています。渋沢栄一がパリに渡ったのが1867年ですが、その4年前の1863年に第2回遣欧使節団(池田使節団)がはじめてギザのピラミッドを訪れています。この様子は、当時エジプトで色々な遺跡を撮影した有名なイタリア人写真家アントニオ・ベアト(Antonio Beato)が写真を残しています。

スフィンクス前での第2回遣欧使節団の集合写真(https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/14/1.html)


 渋沢も紅海沿岸からアレクサンドリアまで汽車で移動しましたが、ギザを通過した頃は夜だったためにピラミッドは見ていないと言われています。大河ドラマではじめてエジプトで汽車に乗る渋沢が「おかしれ〜!」と大騒ぎする様子が見れなかったのが残念ですね。

 

 ところで第2回遣欧使節団が日本人ではじめてピラミッドやスフィンクスを見て、古代エジプト文明が日本人の知るところとなりました。ピラミッドは、当時「金字塔」と呼ばれています。1888年には帝国大学医科大学(現東京大学医学部)が横浜のフランス総領事からはじめてエジプトのミイラを譲り受けました。この第3中間期のペンヘヌウトジウウのミイラは、現在東京丸の内のインターメディアテクに展示されています。


 最初にエジプトを訪れた研究者は歴史学者の黒板勝美で、ルクソール西岸のクルナ村の村長の家に滞在し、遺跡や発掘現場を見学しました。その時の見聞録は『考古学雑誌』に寄稿されています。黒板はエジプトでの考古学調査の状況を執筆することで、日本考古学の発展を望んでいたようです。


 その後日本の考古学者も海外に留学し西欧の考古学を学ぶようになりました。その先鞭をつけたのが京都大学の濱田耕作で、英国に留学しロンドン大学でエジプト考古学者フリンダース・ピートリー(ペトリー)の指導を受けました。ピートリーから考古学の手解きを受けた浜田は、その成果を『通論考古学』として出版しました。これは日本で最初の考古学の教科書です。浜田は京都大学の教授となり、ピートリーの発掘調査の資金的な援助も行いました。その見返りとしてピートリーから約1,500点のエジプトの遺物の寄贈を受け、京都大学の浜田コレクションとなりました。現在コレクションは京都大学総合博物館に収蔵され、展示室でその一部を見ることができます。そのコレクションから古代エジプトについて学んだのが岡島誠太郎で、彼は特に古代エジプトの言語と歴史を専攻し、古代エジプト語の文法書、コプト語の文法書、そして我が国で最初の古代エジプト史、『エジプト史』(平凡社、1940年)を出版しました。


京都大学総合博物館の濱田教授とピートリー(ペトリー)教授に関する展示

©︎ Nozomu Kawai


日本で最初の古代エジプト通史、岡島誠太郎『エジプト史』平凡社、1940年

©︎ Nozomu Kawai


 日本人がエジプトではじめて考古学調査を開始したのは戦後1960年で、早稲田大学の故川村喜一先生(当時早稲田大学文学部教授)と当時学生だった吉村作治先生(現東日本国際大学総長・早稲田大学名誉教授)がナイル川流域のジェネラルサーベイを行いまた。そして、1971年にはじめてルクソール西岸のマルカタ南遺跡で発掘調査を開始しました。その当時の発掘調査については、吉村作治先生の『エジプト史を掘る』に記されています。是非ご一読ください。


 このような日本人によるエジプト学研究の歴史について、最近ケンブリッジ大学出版から出版されたA History of World Egyptologyに近藤二郎先生とともに執筆しました。高価な本ですが、世界各国のエジプト学の歴史が網羅された初めての本です。高価な本ですが、お勧めです。


















A. Bednarski, S. Ikram, A. Dodson, A History of World Egyptology, Cambridge University Press, 2021.


参考資料

アフリカに渡った日本人


インターメディアテク


東京大学総合博物館所蔵のエジプトのミイラについて


京都大学総合博物館


浜田耕作『通論考古学』


吉村作治『エジプト史を掘る』


A. Bednarski, S. Ikram, A. Dodson, A History of World Egyptology, Cambridge University Press, 2021.


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